御朱印帳を開く。
ページをめくる。
そこには神社の名前と日付が並んでいる。
御朱印を集めていると言うと、
「神社が好きなんですね」
と言われることがある。
もちろん神社は好きだ。
でも、
御朱印を集めている理由は少し違う。
御朱印を見ると、
その日の景色を思い出す。
淡路島の伊弉諾神宮。
木漏れ日の差し込む参道。
静かな境内。
帰りに立ち寄った海。
京都の神社。
朝の空気。
歩いた石畳。
帰り道の夕暮れ。
御朱印を見るたびに、
神社そのものより、
その日に見た景色が浮かんでくる。
だから、
集めているという感覚はあまりない。
旅の記録に近い。
写真も撮る。
でも、
写真は景色を残すもの。
御朱印は時間を残すもの。
そんな気がしている。
旅先で神社を見つけると立ち寄りたくなる。
何かをお願いしたいわけじゃない。
ご利益を求めているわけでもない。
ただ、
少し立ち止まりたくなる。
木々が揺れる音。
砂利を踏む音。
静かな空気。
神社には、
時間がゆっくり流れている気がする。
旅が好きなのも、
神社が好きなのも、
理由は似ているのかもしれない。
人生を変えたいわけじゃない。
何か特別なことを求めているわけでもない。
ただ、
少しだけ違う景色を見たい。
御朱印帳には、
そんな日の記憶が残っている。
だから今日も、
新しい御朱印を探しているわけじゃない。
新しい景色に出会いたいだけなのかもしれない。

コメント